天国の母へ

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亡き母へ

69歳で他界した母、男兄弟の真ん中で、上と下に挟まれ、兄弟仲は自分だけ、少し浮いている感じでした。父親は、上と下を可愛がり、私に対しては、とても愛情を感じられませんでした。洋服はいつも兄のおさがり、自転車も兄のおさがり、私で使いふるすので、弟はまた新しい服や、自転車を買ってもらう。一番記憶に残っているのは、親戚からお年玉をもらった時の事です。兄は10000円、私は5000円、弟も5000円、もらって文句言うのは、本当に申し訳ないのですが、親戚からも、親からも、いつも低い目でみられていたのだなと思いました。50代のこの年になって思うのは、私なら均等にあげるか、真ん中の子を7000円にするでしょう。まあ、お年玉をくれる側にしてみれば、もらって文句言うなと激怒することでしょう。そんな小さいときからの不満が爆発したのでしょうか、高校生になると、次第に父親と喧嘩するようになり、時には殴りあいの喧嘩になったこともありました。そんなとき、いつも止めてくれたのは母でした。父からは嫌われていた私を、いつも支えてくれたのは、母でした。でも、そんな母に家庭内暴力と言う形で、何度も暴力をふるってしまいました。無抵抗の、反撃できない、それは悲しい目で訴えていました。高校卒業後、少しでも親孝行してあげようと、日光に連れていったり、水で食器洗いが気の毒で、湯沸かし器を取り付けたりしてあげました。そんな母も私が40歳のとき、69歳で天国へ旅立ちました。本当はもっともっと親孝行してあげたかったのですが、癌には勝てず、眠るように息を引き取りました。お母さん、いつもかばってくれてありがとう。暴力ふるってごめんなさい。もっと長生きして欲しかった。本当にいままでありがとう。

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