教師への不信感を拭ってくれました

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K先生へ

私は小5~小6の2年間、クラスの女子から集団でいじめられていました。

聞こえるような声でわざと悪口を言われたり、テストの点をしつこく聞かれたり、好きでもない男子のことを好きだと言いふらされたり、私が不得意な体育だけは勝ち誇ったように成績を披露されたり、いきなりビンタされたり、修学旅行の班に入れてもらえなかったり。

主犯格の女子の靴箱に、その子の悪口を書いた手紙を入れておき、末尾に私の名前を記して「犯人だ」とクラス中のみんなの前で糾弾されたこともありました。
足を引っかけられそうになったり、階段から突き落とされそうになったり、物理的に危ない目にも遭わされました。
登下校中も含め学校にいる間は何をされるか分からなくて、一瞬たりとも気が抜けませんでした。

担任は最初は私の話を聞いてくれましたが、主犯格の女子が根も葉もないことを言ったせいで「学級委員なのにちゃんとしていないあなたが悪い。いじめられる原因はあなたにもある」とまで私に言い放ちました。
どう考えても最低な人でした。

もう誰も信じられなくて死にたかったし、地獄のような毎日でした。
でも、「ここで不登校になったらあんなくだらない人間に負けたことになる」と思って、片道40分かけて意地でも休まず通い、志望校に受かるように勉強も頑張りました。
主犯格は私より遥かに頭が悪かったので、同じ学校に見事に落ちてくれて、本当に清々したのを忘れられません。

前置きが長くなりました。
そんなわけで、私は「教師」という人に対してどうしても不信感が拭えませんでした。
中学・高校・大学と楽しい先生に囲まれて幸せに過ごしましたが、やはり小学生の頃に担任に見捨てられた絶望感とやるせなさが消えることはありませんでした。

大人になって、私は地方紙の記者として就職しました。
そして2年目を迎える頃、「教育担当」となることが決まりました。
私の会社では昔から小中学生からの投稿を主とした特集ページが週1で組まれていて、それを1年間受け持つことになったのです。

生徒からの投稿は、学校名と学年、名前の後に「〇〇記者」という形で載せることになっています。
子どもたちの投稿に頼るだけでなく、おもしろくてためになる企画を考え、県内のいろいろな学校を回って生徒や先生に接して取材をし、記事を書かなければなりません。
記者という仕事は大好きでしたが、「学校や先生という存在が信じられない私に務まるのだろうか」と最初は不安しかありませんでした。

そんな時、とあるきっかけからK先生に出会いました。
熱心に投稿を重ねてくれていた先生のお子さんを取材することになり、郡部のご自宅に向かったのです。

小学生を相手にした本格的な取材は初めてでなかなか難しく感じましたが、お子さんがちゃんと答えてくれたおかげでどうにか記事を掲載することができました。
それまで(お子さんが投稿するようになるまで)K先生はあまりこの特集ページに興味がなかったようでした。
でも、その翌年度から自分の受け持つクラスの子たちに呼びかけ、本当に積極的に原稿を送ってくれるようになりました。

毎週、その学校から子どもたちの熱い思いがこもった作文、K先生の達筆な一言メモが入った分厚い封筒が届きました。
読んでいてクスッと笑えたり、小学生のピュアな視点に驚かされたり、かわいいな~と思ったりしました。
K先生の熱心な指導ぶりも、先生のことを子どもたちみんなが大好きなのも伝わってきました。

ある日、いつも熱心に送ってくれるお礼を言いたくて、田舎にあるその学校をふらりと訪ねたことがありました。
K先生が「記者さんが来てくれたよー」と言うと、あっという間に子どもたちに囲まれて、身長150センチしかない私は埋もれてしまいました(笑)
みんなと写真を撮ったり、「〇〇君はこんな記事を書いてくれてたよね」「本当は全部載せたいくらいなんだけど他の学校の子も載せなきゃいけないからごめんね」などと他愛もない話をする様子をK先生はニコニコしながら見ていました。

後から聞いた話では、そのクラスには「編集長」がいて、みんなの書いた記事を読んでお互いにアドバイスをしたりしながら、全員が紙面に載るように工夫していたそうです。
そのクラスの女子から「〇〇さん(私)は想像していたよりかわいくて、みんなの記事をたくさん読んでいてくれました。私も〇〇さんのような新聞記者になりたいと思いました」という嬉しい記事ももらいました。

個人的なことなので新聞には載せられないけれど、10年近く前のその記事は今でも私の宝物です。
数カ月後、熱心に投稿してくれた成果で学校が1年間の「大賞」を取ることが決まって、取材で再訪した際には子どもたちは大感激でした。
20人近くが我先にしゃべろうとするので、収拾がつかなくなりそうでした。
その時もK先生は、はしゃぐみんなと時折ツッコミながら取材を進める私を見守ってくれました。

K先生はその後、異動になった学校でも現在に至るまで投稿を続けてくれています。
先生のお子さんも、あの時のクラスの子ももう大学生くらいになりました。
K先生と接しているうちに、私の中での教師への不信感は徐々に薄れていきました。
ちゃんとみんなの話を聞いて向き合ってくれる先生がほとんどで、そういう人は子どもたちからも慕われるんだなと思いました。
正直に言うと、私も小学生の頃にK先生に教わりたかったと思いました(笑)

昨年、私が病気で退職した際には、報告とこれまでのお礼を兼ねてK先生とお子さんに手紙を書きました。
しばらく会っていないけれど二人ともとても心配してくれて、「近くに来たら家に遊びに寄ってね」とお返事をくれました。
私は病気を治したら、またいずれ何かの形で記者を目指そうと考えています。
仕事は大変だけど、やはり大好きだったからです。
それは、K先生をはじめ支えてくれる周りの方への恩返しになるかなとも感じています。

K先生やこれまで関わってくれた子どもたちへ、全員に大声で「ありがとう!!」と言いたいです。
私、負けないから見ててくださいね!

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