母の愛情を受け継いだ、とある炒飯の話

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母へ、そして息子へ

あれは、私が小学4年生の秋でした。
朝から緊張する私に、いつもの明るい笑顔で美味しい朝食を作ってくれていました。この日は学芸会。主役に抜擢された私は、ブツブツ台詞を言いながら食卓に着きました。
「さあ、どうぞ召し上がれ。」
台本の隙間から運ばれた朝食を見ると、立ちこめる湯気の向こうに何ともカラフルな炒飯が見えました。
「お母さん、これ何て言う料理?」
そう私が聞くと、母は優しい笑顔で答えました。
「これはね、ひとのみ炒飯って言うのよ。」
「ひとのみ?」
何だか変なネーミング。ユーモア満点の母らしいなと思いながら、その炒飯をひとくち頬張りました。すると、色んな具材の味や食感が楽しめて、またひとくち。そして、もうひとくち。時には野菜の歯ごたえが、次は肉の旨みが口いっぱいに広がって、初めてなのにどこか懐かしい炒飯なのでした。
食べ終わる頃には、緊張はどこ吹く風といった感じでした。

それから数年が経ち、高校受験の日がやって来ました。
学芸会の朝とはまるで違う緊張感で、朝ご飯の気分ではありませんでした。その時、あの香りが私を一瞬で包み、
「もしかして、ひとのみ炒飯?」
そう言うと母は、ニコっと微笑んで私の前にお皿を置くのでした。
野菜や海苔、挽肉にツナ、大豆や胡麻など、冷蔵庫にあった食材を適当に入れているのかと思いきや、コクのある鶏ガラとオイスターベースが絶妙な炒飯。
あの時は何気なく食べていたけれど、ひとのみ炒飯には、何があっても大丈夫!緊張しないで飲み込んでしまいなさい。と言う、母のメッセージが込められていた事を知りました。

緊張する場面で、「人」を手の平に書いて飲み込むあの儀式。母は、炒飯の具材で色んな人や状況を現わし、飲み込むことで私にパワーを与えてくれていたのでした。

あれから30年。先日、息子の学芸会がありました。あの頃の私と同じ小学4年生です。トースターに、いつもの食パンを入れてタイマーを回した瞬間、私の記憶が鮮明にあの日の朝を照らしていました。
ソワソワする息子の姿が愛おしく、そして、母が私にしてくれたことを懐かしく思いながら、急いで冷蔵庫を覗き込みました。
同じ味にはならなくても、受け継いだ母の愛情を、今度は自分の息子にしてあげられる幸せに、とても穏やかな気持ちになりました。
「お母さん、美味しい炒飯をありがとうね。」そう言うと、元気に登校していく息子の後ろ姿に、「こちらこそ、ありがとう」と言う気持ちでいっぱいになるのでした。

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