真っ暗な世界でひたすら奮闘する私を支えた優しい花のような人

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幼稚園のママ友さんへ

次男は本当に生まれたなりからよくミルクを飲みよく眠る子で、長男に比べて手間のかからない赤ちゃんでした。いつも私の背中におぶわれてご機嫌で。

でもそんな次男が生後半年の頃のある日、水疱瘡にかかったのをきっかけに体調を崩し、風邪をこじらせて肺炎になりその後入退院を繰り返すようになりました。

わけもわからず手の甲に点滴の針を刺されベッドに拘束され、私が帰る時にはいつも火がついたように大声で泣き叫んでいました。そんなに泣いてはまた肺が痛むのにと、私も泣きながら帰りました。

何がいけなかったのだろう。私のせいだ。長男の前では無理矢理明るく笑い、それでも夜中に喘息の発作がでれば眠る長男を叩き起こして救急外来へ向かい、そういう時は必ず入院で、長男を幼稚園に一瞬預けて入院準備をしてまた病院へ。

時間になったらお迎えに行って、買い物に行って、家事をして眠り起きれば幼稚園に送り届けてその足でお迎えの時間まで次男の傍に。ほぼワンオペの育児で完全に肉体的にも精神的にもキャパオーバーの日々でした。

頭はスケジュールと不安と心配で一杯な日々の中、さほど話もしたことのなかった幼稚園のママが私に言ったのです。

「病院通い、大変よね」

その方のお子さんは片目が義眼でした。詳しいことは私も知りませんし、彼女も次男の心臓や血液に異常があることも私が言わないので知らなかったでしょうが、ケースは違えど何かを感じて気にかけてくれたのだと思います。

プライバシーにはお互い触れない形での寄り添う在り方はあの暗い日々の中での一つの救いで、その中でも特に心に残っているのが。
「通院をね、嫌なことで終わらせないために帰りに花を買うことにしているの」

私の通っている病院の中には花屋さんがあって、私はそこで花を買うようになりました。
「一輪でもいいの。怖くなった時にみると少し落ち着くの」

病室に花を飾るという文化は知っていましたが、その効能についてはあまり考えたことがありませんでした。というか、そもそも花に興味もあまりなかった私。聞いた時には半信半疑、でも藁をもすがるような気持ちでスイトピーを一つ買いました。

玄関先、ただ花瓶にさしただけの透けて儚い花びらをじっと見ていると、悲しみというよりも不思議な感情で涙が落ちました。ああ、あの人もこういう気持ちで花を見つめる日々を過ごして生きていたのだと。

とても穏やかで苦労知らずのお嬢様のような上品な人で、でも本当に真の強さ、気丈さと優しさを持つ人でした。高齢出産でようやく生めたのと静かに笑っていたあの人とは長男の卒園とともに会うこともなくなってしまいましたが、ずっと「あんな大人になりたい」と心に残っているほど素敵な方でした。

今でも辛いことがあると花を買います。そして、花を見に遠出するようになりました。次男はおかげさまで今それなりに元気に暮らしています。あなたがいなければ私は壊れてしまっていたかもしれません。本当にありがとうございました。

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