悩みを理解してくださってありがとうございました

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天国の課長へ

課長が天国に旅立って、もう7年にもなるのですね。
私も今は職場を退社し、別の人生を歩んでいます。しかし、課長とお仕事をした日々の感謝を、今も忘れることができません。

当時会社では、大きな改革をしたため職場全体に余裕がなく、パワハラやサービス残業など、あってはならないことが横行していました。
お若い課長はそんな中、他の支店から異動してこられて、本当に大変だったと思います。

私自身も、休みは殆どもらえず、毎日12時間近い労働を強いられることに疲れが出始め、慢性的に体調を悪くしていました。
今思うと、私はその時点でパニック障害を発症していたのだと思います。車以外の交通手段がない僻地への出張を別の上司に命じられましたが、車に乗っていると閉所不安でパニック発作を起こしてしまうことがあったため、お断りしたのに全く理解してもらえませんでした。

私はそのことでとうとう悩みすぎて不眠になり、食事も全くできなくなりました。毎日の疲労でもう精神も体もボロボロでした。
他の上司が恫喝で人を抑え込む中、課長だけは全く部下に恫喝をしませんでしたね。課長は「僕みたいな人がいてもいいでしょう。仕事は楽しくやるべきだと思うよ」と笑顔でおっしゃっていましたね。

私は課長以外に自分のことを相談できる上司はないと思いました。
御多忙なところを自分の自動車恐怖の話をし、出張を誰かに代わってほしい、そのことで食事もできず一睡もできないとお話したら、とても悲しい顔をされ、「なにもそういう症状があるあなたに行かせなくてもいいものを、かわいそうに、僕が言ってあげるから心配しないでいいですよ」と言ってくださいました。

本当に涙がこぼれました。パニック障害は今でこそ、芸能人の方の告白で一定の理解が浸透しつつあるものの、当時は「やりたくないことを逃げるための詭弁」としか思われなかったのです。
しかし、課長はすぐにご対応してくださいましたね。課長のおかげで、私は出張のための資料を作る仕事になり、出向くのは他の方にしていただけました。

課長は、あなたなりにできることをすればよいとおっしゃってくださいました。

その後もいつも笑顔を絶やさず、課長の周りだけは陰惨な職場内で温かいこたつのような雰囲気だったのを覚えています。

その後課長は他の支店に異動されて別々になりました。まだまだお若い年齢だったのに、課長が出勤前にお倒れになり、そのまま亡くなったと聞いたときは、ショックと同時に、なぜ課長のように、人徳があり人柄に優れ温かい太陽のような方がお亡くなりにならなきゃならないのか全く世の道理を理解できませんでした。
温かい笑顔の下でご無理をされていたのではと思うと心が痛みます。

しかし、課長には何度でもありがとうございましたと申し上げたいです。
仕事を離れた今でも、課長の温かさや教えを教訓に、私も頑張ります。

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