生まれてからずっと「ありがとう」「ごめんなさい」を心から言えなかったわたしへ。

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わたしへ

「ありがとう」「ごめんなさい」
その二つの言葉が存在しない家に育ちました。
「ありがとう」「ごめんなさい」
この言葉を先に言えば、家族から常に馬鹿にされ責め続けられました。
「ありがとう」「ごめんなさい」
その言葉を先に言えば、負け犬なんだと教えられました。
そして、そう信じて約40年生きてきました。
「ありがとう」「ごめんなさい」
それを言わなければならない場面でも、心から想わずとも周りをだませるように、上手に立ちまわれるようになりました。
「ありがとう」「ごめんなさい」
この二つの言葉を心から言わなかったために、大切な人たちをたくさん裏切りました。
「ありがとう」「ごめんなさい」
プライドからこの言葉を伝ることをためらって、みんなわたしから離れて行きました。
「ありがとう」「ごめんなさい」
ただこれだけなのに、それができないわたしの心はだんだんと死んでいきました。

昨年、わたしが引き起こした大きな裏切り行為で、周りの大切な人たちの信頼を一気に無くしました。それは、わたしがその方々からいただいていたたくさんの愛や温情を、少しも有難いと想っていなかったということが明るみに出た行為が発端です。わたしには、有難い、御免なさいといった、人が持つ情緒や、幼少期に周りの人から教わる礼儀が育っておらず欠けているんだということに、約40年気付くことなく生きてきました。
わたしはそれから毎日毎日、「ありがとう」と「ごめんなさい」を想って伝える練習をしています。有難いということはどういうことなのか、申し訳ないという気持ちはどういう感じなのか、手探りで学んでいます。本来ならば小学校に上がる前までに学んでおくべき、人としての基礎中の基礎と言うべきところですし、そのころに育んでいたならばすんなりと通れた道なのでしょう。放置したまま身体だけ成長してしまった今、築いてきたプライドが壊れる痛みを伴いながら一つ一つ経験しています。
大切な人たちの信頼を失いたくない、周りの人たちを傷つけたくない、何よりそういう行為を自分に二度とさせたくない。腐りかけながらもなんとか這いつくばっては、そんな大事なことをつかんできた自分に今は感謝しています。「ありがとう」と感じた、言えたわたしにありがとう。「ごめんなさい」と感じた、言えたわたしにありがとう。「ありがとう」「ごめんなさい」がずっと言えなかったわたしにありがとう、そしてそれを感じること、伝えることを許さない生き方を選び続けて本当にごめんなさい。遅ればせながら、わたしは今本当に”人として生きる”ということを学び始めています。

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