夢を叶えられたのは、お祖母ちゃんの涙のおかげです。

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お祖母ちゃんへ

3歳から習い始めたピアノは、いつの間にか私の体の一部だと思うくらい大切なものになっていました。
将来はピアノの先生になりたいと幼稚園の頃から豪語するくらい大好きでした。
そんな私を一番応援してくれたのは母方の祖母でした。お祖母ちゃんは、毎年行われるピアノの発表会に必ず足を運んでくれました。

中学生になった時、なぜかピアノをしている自分を恥ずかしく思うようになりました。
発表会も頑なに出るのを拒み、練習もほとんどしなくなりました。
両親からは練習しないならピアノをやめるように言われました。
やめようかな、と何度も思いましたがなぜか渋々ながら続けていました。

高校生の時に最後だからと先生から言われたピアノの発表会。
中学生の時ほどピアノを恥ずかしいと思わなくなっていたので、最後ということもあり出ることにしました。
しかしピアノより友達と遊ぶ方が好きだったので、ピアノと向き合うのも1日10分という短時間でした。

そんな時、お祖母ちゃんが体調を崩しました。入院を余儀なくされ、先が長くないことを知りました。
そんなお祖母ちゃんから、お見舞いに行った時に「ピアノの発表会までは死ねないね。」と笑って言いました。

その言葉を聞いてから、私はピアノに何時間も向き合うようになりました。
私の演奏を聴いてもらえるのが最後かもしれないお祖母ちゃん。悲しくてピアノを弾きながら涙が溢れてきました。

お祖母ちゃんは、私の発表会まで頑張って生きてくれました。
車イスで来てくれ、私の演奏を聴いた後涙を流していました。
お祖母ちゃんは、昔から私の演奏を聴くと優しい気持ちになるんだよ、と泣きながら言ってくれました。
芸術はその人の素性が現れるから、あなたがいかに繊細で優しく、努力家なのかすごく伝わったと。

私はそんなお祖母ちゃんの言葉に胸を打たれました。
自分の演奏が誰かを元気にする、それがどれほど感動的なもので素晴らしいかわかりました。
思春期でひねくれていた私でしたが、お祖母ちゃんの言葉で、小さい頃の純粋にピアノと向き合っていた自身を思い出すことができました。

それをきっかけに、私はピアニストになるべく勉強に励みました。
お祖母ちゃんは翌年に亡くなりましたが、あの涙と言葉はいつまでも私の味方をしてくれます。

お祖母ちゃん、ありがとう。あのときは照れ臭くて言えなかったけど、今の私がいるのはお祖母ちゃんのおかげです。

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