- 03 お祖母ちゃんへのありがとう
- 2019.07.25
看病
おばあちゃんへ
子供の頃から体が弱く体調を崩しがちだった私にいつも寄り添ってくれたおばあちゃん。
母も父も仕事をしていたので家を空ける事が多く、隣街に住むおばあちゃんが私の面倒を見てくれました。幼稚園の送り迎えから遊び相手。ご飯の仕度に至るまで幼少期の私はおばあちゃんに育てられたと言っても過言ではないありません。
おばあちゃんはいつも煙臭い匂いがしていて、だけれど嫌いでは無いその匂いに包まれながら寝込んでいる私を看病してくれている瞬間に幸せを感じる事がありました。なんとなく感覚だけど愛されてる気がして嬉しい気持ちになりました。
小学生になると体も少しずつ丈夫になってきて、一人でお留守番も出来る様になりました。おばあちゃんはそれでも毎日家に来てくれてましたが、友達と遊んだり出掛けたりする方が楽しくて余り喋らなくなりました。その内におばあちゃんは『もう私がいなくても大丈夫だね』と家に来なくなりました。
それから数年が経ち、大学へ進学。その頃には両親ともあまり口を利かない程度に家族関係は冷えていて、一人暮らしを始めた事を切っ掛けに疎遠に近い状態になりました。おばあちゃんだけはちょこちょこ手紙をくれましたが両親とは電話すらしない関係。
そんな中であるときおばあちゃんに肺癌が見つかりました。前々から息苦しいという訴えはしていたそうですが病院へは行かず。気付けば肺の三分の一程度を浸食しているとの事。時期に歩けなくなり病院は嫌だからと自宅で療養しているおばあちゃんのお見舞いに行きました。
細くなった体に白い顔を見たときは涙が自然と溢れ。大学が夏休みに入った時期なので一時的に帰省して看病をしました。おばあちゃんとは子供の頃の思い出を話したりして。あの頃に看病してくれた恩返しをしないとねと言うと、涙を流すおばあちゃんを見て私もなきました。
それから一月も立たないうちにおばあちゃんは喋る事すら出来ない状態になりました。意識はあるようですが動けずずっとベットの上でぼーと目を開けているだけ。さすがの両親もいよいよヤバイと思ったのか仕事を数日休み医者に宣告された最後の時自宅で待ちました。
ふとした瞬間に『もう私がいなくても大丈夫だね』の言葉が頭をよぎり。あの時のなんとも言えない表情をしたおばあちゃん浮かびました。その度に私はおばあちゃんにあの時面倒を見てくれて嬉しかった、感謝していると伝えました。
結果としておばあちゃんは亡くなり。両親は葬式を済ませた翌日から仕事に復帰しました。私も実家から大学近くのアパートに戻り。おばあちゃんが倒れる前の状態に戻りました。
何気ない日常の中でもやはりふと『もう私がいなくても大丈夫だね』の言葉がよぎる時があります。おばあちゃんに私の感謝の気持ちが伝わったのかどうか確認はわからないですが。本当に感謝しています。
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