- 01 お母さんへのありがとう
- 2020.01.19
生まれてきてくれて、産んでくれてありがとう
子供とお母さんへ
人は二十歳までに人生の半分を過ごしたことになるという。主観的に記憶される年月の長さは年少者にはより長く、年長者にはより短く評価されるというジャネの法則だ。
なるほど今一年があまりにも早く感じることにうなづける。記憶があるのは物心ついた頃からだけだ。生まれてすぐ、抱っこされたりオムツを替えてもらったりしたことはもちろん覚えていない。
家族と過ごした楽しい思い出はたくさんあるが、全ては思い出せない。忘れてしまったこともたくさんあるだろう。
子供の頃は早く大人になりたいと思っていた。そしていつのまにか大人になり、自分が母親になってから母親という生き物について考える。
二十歳までの間、子供にとっての二十年は感動に満ちて長い。母親の二十年は満身創痍、駆け足で過ぎていく。
自分が死ぬまでずっと母親であることは変わらないが、手のかかる子育て期間はあっという間に終わってしまう。
重なる時間の中で覚えていてくれることはどれほどあるのだろうか。子供の成長していく姿を傍らに嬉しい反面寂しくもある。
私が幼い頃母はたくさん一緒に遊んでくれた。友達ができる前は二人で公園に遊びに行った、ブランコを押してくれたことが微かに記憶にある。シルバニアファミリーなどのおままごとごっこもよく付き合ってくれた。
私が腹痛で病院に運ばれたときは、横で念仏を唱えご先祖様にお祈りをしていた。治りますようにと。ただの便秘だった。
初めての一人暮らしの時には、私が詰めた荷物の他に母が用意してくれた荷物がたくさんあった。これでもかというほど詰められた日用品の数々。新居で荷ほどきの際に「一人じゃこんなに使いきれないよ…」と思いながらも、母の愛を感じて寂しさが込み上げ号泣したのを今でも覚えている。
楽しいことばかりではなかっただろう。母にとっても、私にとっても。小さなことから大きなことまで、多くの思い出が私の中にある。
振り返ろうとしなければ思い出すこともない記憶だ。
でもそんな本のページを開けばパラパラと文字が浮かぶように数々の愛された記憶が今を大事にする私を作ってくれた。辛い時苦しい時、自暴自棄になりそうになると思い浮かぶのは真っ先に母の悲しむ顔だ。いけない、いけない。そう思い留まるきっかけをくれる。
生まれて、時を経て、私も母親となった。どう扱えばいいのか、全てが手探りだった新生児の頃。寝ているときは息をしているか心配で何度も顔を近づけて確認した。
授乳のイメージは穏やかに子供を見つめて話しかけながら。実際は慣れない授乳に乳首は切れて授乳の度に背筋がピンとなり脂汗をかきながら我慢の授乳が始まりだった。
おっぱいをあげてもオムツを替えても抱っこしても泣き止まない夜には、母親失格のように思えて私も一緒に泣いてしまった。
初めて笑顔を見せてくれたときの喜び。笑ってもらうために、到底人前ではできないような顔をしたり声をだしてみせた。さっきまで笑ってくれたのに、急にスンと無表情になるとなんだか恥ずかしくなった。
寝ているだけだったのが一生懸命寝返りをしようと頑張る姿にこちらまで力が入り応援した。たくさん泣いて、たくさん寝て、笑って、遊んで、こんなこと、きっとこの子は忘れてしまうだろう。私が母からしてもらったことを覚えていないように。
無償の愛はあるのだと実感する。なんの見返りもいらないから、ただ笑顔で元気に過ごせたら一番だと思えた。人生が変わった。子供に笑顔を向けられない時も、私と目が合うとニコっとする姿に救われそして何度も反省する。今は私の存在が一番。それでもいつしか親よりも友達になって、私の存在が薄れていく日もくるだろう。
大変だが愛しいこの時間はきっと私の中にいつまでも宝物のように残る。私と母を繋ぐ思い出がたくさんあるように、私と子供を繋ぐ思い出をこれからたくさん作ってあげたい。
孫と過ごす母を見て、思いがけず母の愛を垣間見る。私が子供に向ける想いと母が私に向けてくれた想いは同じだと気付くからだ。そして切なくなる。赤ちゃんの今はすぐに終わってしまうこと、この子がいつか自分が赤ちゃんだった頃なんてなかったかのように大きくたくましくなっていくことを。
ジャネの法則によると赤ちゃんが感じる六日間と六十歳の老人が感じる一年は同じ感覚なのだという。今目の前にあるものが全て新しく冒険に満ちているこの子のように、私も毎日を冒険のように生きよう。そうすれば重なる時間はもっと濃いものに、きっとゆっくり進んでくれるだろう。大きな愛に気付かせてくれた子供と母にありがとうを伝えたい。
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