大きな愛で包んでくれてありがとう

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母へ

私がALSという病気を発症したのは小学校高学年くらいからでした。高校生になり、よくつまづく用になって、校内で履いていたゴムのスリッパが脱げてしまい、階段の昇り降りが辛くなってきたのをきっかけに大学病院を受診し、色んな検査の結果ALSと診断されました。

母は私の病気に対して自分でできることはしてやろうという気持ちで、地域を周って商品を買わせる変な会社の説明会に行って買おうとしたので、私がいらない!と買わせなかったのですが、下手したら悪徳商法に引っかかりそうな人でした。

そして、私の望むことや欲しい物は、小さなことですが、何でも気持ちよくしてくれていました。
どこか頼りなくて可愛い母でしたが、いつも私のことを案じてくれていたのが伝わってきていました。
私が18歳のときに亡くなったのですが、高校からの3年間は親子の関係なんて感じないほどの仲良し友達のように、どこに行くのも一緒に行き、その時間がとっても楽しいひと時でした。

私が弱くなって行く足で高校卒業後の進路を決めるとき、母が影で担任の先生に相談をしていたのか、私に法律関係の資格を勧めてきました。この資格はこの先自宅にいながらできる資格という説明をしてくださいましたが、勉強嫌いの私なので凄く迷いました。

当時東京にいた兄にも話したらしく、六法全書が送られてきました。
ですが、その方面には自信が無く分厚いリクルートブックから、東京のタイプライターの専門学校を短期のコースで受講を決めましたが、それについて何も言わず、反対もせず、父に反対させないようにうまく取り繕ってくれました。

私は、今は初期で症状は軽いけれど、これから段々と進行して行くことだけは明らかで、一生治らないと先生からも言われていたので、将来をどう考えていいのか分からず不安な状態で専門学校を選び、それをなぜ1年コースを選ばず、短期のコースに決めたのかも分かっていませんでした。

しかし、その短期のコースが終わり、就職を決める時が来たとき、また私の不安が募りその学校で就職先を紹介してくれるのですが、それを断り千葉にいる兄の所で居候をしているとすぐに「母が倒れた」と連絡が来ました。

その電話の奥の声から、軽い症状でないことが伝わると私の心臓が「どきどき」胸騒ぎのような、頭の中では「ショック」な感情がぐるぐるとしていて、即関東に住んでいた兄と合流して自宅に戻ったのですが、意識が戻ることがありませんでした。

それからの私は、亡くなっても悲しいと思わなかったのです。いつも母の想いがそこに感じ、寂しさもありませんでした。
「母がこうなるから私は就職を決めれなかったのか」とそう思えて仕方ありませんでした。
仲良しだった私たち、亡くなってもそばにいると感じ安心していました。

それから18年後に長男を妊娠したとき、団地の6段はあったかな階段から落ちた瞬間、「フワリ」と身体が浮いたような気がしました。その時、上から下まで落ちたのに怪我も無く、どこの痛みも無かったのです。不思議な出来事ですが、その瞬間に母がお尻を支えてくれていると感じたのでなんの怖さもありませんでした。

現実的ではない話ですが、この時「あ~やっぱり母は私のそばで私をまもってくれていたんだ」
突然亡くなったらこんなこともあるのでしょうか?
でも、母との仲良しな関係が今でも私の心の中に残っています。
きっと、いつもいつも心配して、暖かく見守ってくれていたのでしょう。

そんな母に直接は届かないけど、今やっと「ありがとう」「母の子供でいさせてくれてありがとう」そう大声で言います。

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