見ていてくれて、ありがとうございました。

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教頭先生へ

ずっと先生にお礼の言葉を言えなかったことが心残りでした。
私は中学三年生の時、校内の合唱コンクールのクラス実行委員で、毎日の練習やクラスメイトへの声かけに奮闘していました。多感な時期なので歌を歌う、何かを一生懸命にやるということに照れている生徒が多い中、負けず嫌いな私は嫌われ役を買って出たんだと言わんばかりに前に出る毎日でした。幼少期より音楽の勉強をしていたということもあり、自分の力が少しでも貢献できれば、という思いから、クラスでの練習の際には合唱指導をすることもありました。それで、仲のいい友達から陰口を言われる事もありましたし、担任教師から「あんたが先生みたいだね。」と、鼻で笑われてしまった事もありました。
それでもめげずにみんなで最高のものを作ろうと練習に励み、最終的にはクラスの気持ちがひとつになった感覚がありました。

本番当日、所謂、不良生徒という目で見られている子も、服装や頭髪を整えて登校してきました。そして最高の合唱をしよう、と言ってくれたのです。
私は練習も、合唱に対する知識も、チームワークも、合唱そのものも、どれをとっても他のクラスに負けていないという自信を持っていました。結果は何であれかならずいい合唱を届けられると。
そんな熱い気持ちで本番に挑み、今までで一番の合唱ができたと満足出来たことを覚えております。
そして、結果は最優秀賞。一位でした。
みんなで涙を流して喜びました。正直歌いおわった後は順位の事を忘れていたので、驚きと喜びで胸がいっぱいでした。
そして更に、私たちのクラスが他のクラスの合唱を鑑賞していた席にはゴミがひとつも落ちておりませんでした。それは唯一我々だけだったのです。優勝の歓喜の最中、そういった部分まで気持ちが行き届いていた皆を誇らしく思いました。

だがしかし、喜んでばかりもいられませんでした。後日数日間は、優勝できなかったクラスからの妬みや悪口に心を傷めることがありました。
担任教師がそれをフォローしてくれると、期待しましたが「他のクラスも頑張っていたから、正直あなた達の優勝は喜べない。」と言ったのです。
私はこの残酷な状況に、どういう感情を抱けばいいのか頭で理解できませんでした。どんなに頑張ってもそこに結果が伴っても褒めてくれたり認めてくれる人はいないんだと頭が真っ白になりました。

その数日後でした。担任教師がその旨を教頭先生に相談したようで(素直に喜べない事)その時私は偶然に居合わせてしまったのですが、
「私は、毎日の練習風景を見ていましたが、あなたのクラスの生徒は毎日ほぼ全員の生徒が練習に参加し、1日1日着実に成長していき、練習も工夫していたし本番だけ特別な事をすることもなく、確実に全員で作り上げた合唱でした。そこを評価されたんだと思います。あなたが認めて褒めてあげなくてどうするんですか?彼らは正真正銘、最優秀賞でした。」
と、答えていました。教頭先生は、私たちの日々から見てくれていたのです。

そして、私たちが一番欲しい言葉をくれました。優勝に対する賛美ではなく、それまでの過程を褒めてくれたのです。あの時の心がぎゅーっとなるような気持ちは今でも鮮明に覚えています。あの日のことがあったから私は何かに立ち向かうことに躊躇することはありません。もしも、誰にも見てもらえなくても認められなくても、胸を張ってやりきったと言える自分でいようと思えたのです。

今私は社会人になり、毎日の激務に追われていますが、どんなに苦労が重なろうと諦めることなく、あの時の私のまま、自分の歩む道に胸をはって働いています。
私の強みは、目標を決めたら全力で取り組む熱意、です。
時々聞かれます、窮地なのになんでそんなに前向きなのか?どこからそんなやる気がでるのかと。その度に教頭先生の言葉が蘇ります。
「正真正銘、最優秀賞でした。」

前に進む強さをいただいた教頭先生へ、本当にありがとうございます。感謝の気持ちを胸にこれからも自分が認める自分でいるよう頑張ります。

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