私のいちばんの味方

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大好きな妹へ

いつも全力で私を肯定してくれる妹へ、感謝の気持ちを書きたいと思います。

小学校5年生からずっとやりたかった絵の仕事。中学、高校と進むにつれて両親が本格的に反対するようになり、進路についての喧嘩が増えました。東京の美大に進みたい私と、地元大学に進学して公務員になって欲しいという両親は、どちらも折れず話し合いは平行線で、当時の家の中の空気は重かったと思います。

高校3年の初夏のある日、私は両親と大喧嘩をして家を飛び出てしまいました。姉妹の部屋に戻って泣いているところを妹に見られるのは嫌だったし、トイレにこもるのも時間に限界があるし、そんなに広い家ではないので他に場所が無かったのです。

1時間ほどでしょうか、近所をぶらぶらしながら一人で泣いて、重い気持ちで家へ戻りました。ただいまを言う気にはならず、玄関のドアをそっと開けて靴を脱いだその時、何を言っているのかすぐにはわからなかったのですが、リビングから妹の声が聞こえてきたのです。私はそっとリビングの前のドアに近寄り、耳をそば立てました。

「姉ちゃんがどれだけ絵が好きか、知っちょるやろ!お父さんお母さんが勉強しろって言うけ、姉ちゃんは勉強も頑張ってきたし、私よりも家の手伝いとかもやってた。何も他にわがまま言わんのに、絵の事だけあんだけ言うてるに、何で聞いてあげられんの!?」

何と、中学2年生だった妹が、大きな声で父と母に私の進路のことを言っていたのです。妹に進路の相談をしたことはありませんでしたし、両親との喧嘩は気づいていたでしょうが、具体的にそのことで相談もしていなかったので驚きました。

父は「そんな不安定な将来にかけんでも、成績もいいんやから安定した道を行けるやろうが」、母は「県で一度賞をもらったくらいでは、才能とは言えんのよ。好きだけではうまくいかんこともあるんよ。」というような、私にも何度も繰り返し言ったことを、妹に言っていました。

妹は続けて「好きなことがあるんだからやらしてあげたいとは思わんの?失敗するならしたらいいんよ!姉ちゃんが仕事なくてお金なくなったら、私が養うからお父さんにもお母さんにも迷惑はかけん!」と。

嬉しいような、妹にここまで言ってもらわないと収拾できない自分が恥ずかしいような、複雑な、でも暖かい気持ちになってまた涙が出ました。

そっと玄関を出て30分ほど気持ちを落ち着け、今度は音がするように玄関を入り直しリビングへ行くと、妹は既に部屋に戻っていて両親しかいませんでした。タイミングを逃してしまって、話を聞いてしまったことはその時には言えませんでしたが、そのあとはその日を含め何度も両親と話し合い、希望の進路に進学することができました。

有り難いことに、40歳を過ぎた今も細々と好きな仕事を続けることができていますが、自信を無くしたり、プライベートで辛いことがあって仕事に支障をきたしてしまうこともありました。そんな時も、妹は私を毎回肯定し続けてくれました。
「私は姉ちゃんの絵が好きだよ。」
「私は姉ちゃんが絵を描いてなくても、姉ちゃんが好きだよ。」
と、笑顔で、時には怒りながら。

その都度、ありがとうとお礼は伝えていますが、高校3年生の夏の事は、泣いてしまいそうでお礼を言えていません。記憶している限り、妹の前で泣いたことがないので、どうしても恥ずかしくて。

お互いの子育てが落ち着いたら、姉妹で旅行する約束をしているので、その時には笑顔であの時のお礼も言えたらいいなと思っています。

あなたが私の妹でいてくれて、本当に良かったです。昔も今もこれからもずっと大好きです。ありがとう。

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