今だから言えること

投稿者 

今は亡き母へ

私の母は、今生きていれば81歳か82歳くらいです。
母の弟の一番下の弟である叔父にとっては、農家の仕事で朝早くから遅くまでいない両親に代わり、食事作りから、家で飼っている馬のフンの片付けまで黙ってやっていた姉を尊敬のまなざしで見ていたようです。

そういう母から、私達3人の子供たちは「兄弟仲良く。私たち兄弟は喧嘩したことない。それなのにあなたたちは喧嘩ばかりして」と言われたことがあります。
母は、あまり叱るということはしない人でした。小さい頃から3人の弟たちの手本としてよき姉であり、母であったのでしょう。

母の母である祖母にとっても自慢の娘であったようです。
私は父の母である祖母と両親と私達子供3人の暮らしでした。祖母は、早くに夫を亡くし、夫の母である姑と息子二人を働いて育てました。

だから、息子と同居した時、嫁が働きに行き、家のこと一切と近隣とのつながりも祖母が引き受けていて、母は、仕事と実家で一人暮らしになった祖母に毎日電話することが楽しみになっていたのかもしれません。

その母方の祖母が亡くなった時の悲嘆は、私が小1の入学式を控えた時に亡くなった母の父である祖父が亡くなった時に、毎日毎日泣いていた時の悲嘆と同じで慰めようがありませんでした。娘を幼い時に亡くした叔母が母を慰めるために手紙をくれました。その手紙をよく読んでいました。

母が亡き後、嫁入り道具に持ってきた箪笥の引き出しの中にその祖父からの手紙や葉書をを大事にしまっていて、家族の愛情を感じました。
本当に祖父は良き父親だったのです。

母は、56歳で他界しました。
妹が18歳の時に母は亡くなりましたが、最後まで妹の生末を案じていました。
その妹ももうすぐ46歳になります。

私は、二人の子どもにも恵まれ、母とは違い、3世代同居ではなく、母が遺言のように「新婚生活を二人で過ごしなさい」と言ってくれて同居にはなりませんでした。
母は、我慢強い人でした。あまりやりたいことを言わず、いつも周りの事ばかり考えている人でした。
夫である父にもっと不満を言いたかったでしょう。
それも言わず早く他界してしまいました。

亡くなって一時期みんなから「可哀想だった」と亡くなったお母さんのことを言われるのがつらかった。
もっと行きたかった大学に入り直すとか病気をはねのけてやってほしかった。
それができなかったのは姑に気を使いすぎて言えなかったんだけど。
56歳は早すぎたと思う。

今、90代でも元気なお年寄りが大勢いる時代になった。それも生きやすいのかどうかはわからないけど、私はやりたいことがある人にとっては良い時代かもしれないと思う。
お父さんと二人で豪華な船旅とかしてもらいたかった。
お父さんもお母さんが元気で生きていてくれたら、もしかしたら、二人で韓国留学なんてあったかもしれない。

お母さんだけが生きている間苦労ばかりで申し訳なかったと思う。
だけど、お母さん。
私は、お母さんのことを尊敬しているよ。
私達子供たちを一人前に育ててくれたのはお母さんだから。

本当にありがとう。
生きている間にあまり親孝行ができなかった。
ごめんね。

私は、今、55歳です。56歳まで生きられるか心配でした。あと4カ月ほどで56歳になれそうです。お母さんありがとう。お墓参り昨日も行ったけど。また行くね。

FavoriteLoadingお気に入りに入れる
ハートを送る を送る (13
Loading...
スポンサーリンク
>>新しい手紙一覧へ
>>新しい手紙一覧へ