- 07 息子・娘へのありがとう
- 2018.11.14
生意気だけど、ちょっと頼もしくなった娘へ。
去年から、弁護士を通して元妻と離婚調停が始まった。離婚の原因は、元妻の浮気、アルコール中毒、自殺未遂などなど、上げたらきりがないほど出てきます。3年ほど前から、ずっと精神不安定だった元妻。仕事の付き合いだと言って、週3-4回子供の夕ご飯も作らず飲み歩いていた。それが、特定の男との密会であったこともすぐにわかった。その男も妻帯者。ジョギンググループ仲間の一人であった。
元妻の異常な態度、精神不安定であるのか論理的な思考回路もすでに持ち合わせていなかった。家から出ていくことになった際に、その男を手伝いにつれてきた。僕と娘は一緒に家に帰って来て、元妻たちと鉢合わせになった。人間として常識のない元妻に我を失い、ものすごい口論となった。僕の口論の相手は、相手の男だった。とにかく、あの男がこの家にいることが、いたたまれなくなり、とにかく、排除することだけを考えて追いだした。元妻も一緒に叩き出した。ふと、我に返ると、小さな体を震わせて泣いている娘がカーテンの後ろに隠れていた。自分が嫌になった瞬間であったと同時に、無性にやり切れない気持ちになり、ただ、ただ、娘を抱きかかえて一緒に泣くことしかできなかった。悔しかった。こうまで人を罵倒できる元妻に痛烈な嫌悪感を抱いた。
あれから、一年以上が経ち、離婚も無事成立し、親権は50:50になった。あれでも、元妻は子供には優しかった。この言葉があまりしっくりこないのは、ただ彼女が子供にしつけをしない甘い人だったからである。それが彼女の子供たちを手名付ける方法であるのかもしれない。
あの当時の僕の精神状態はかなりギリギリであった。ここアメリカに暮らしていて、家族と言えば、息子と娘そして、日本に母がいるだけ。元妻は、裁判所にも、自分の両親、友達を連れてきていた。僕に対する威圧が目的であろう。兎に角、自分を正当化するために、僕のことをやじった。彼女の方は、親権を半分手にするか、奪われるかで、切羽詰まっていた。僕の方は、100%か50%という状態だった。僕の住んでいる州では、完全に母親が有利になっている。全く持ってふざけた話である。
僕の唯一の心の支えは、娘だった。僕は、男三人兄弟の真ん中で、子供の頃から、ずっと、姉か妹が欲しかった。うちの母親も孫娘ができて、やっと自分の身内に女の子ができて大喜びだった。うちの娘は、生意気でものすごくおしゃべりです。でも、心がすごく優しくて、いつも僕のことを気遣ってくれ、僕といるときは、僕にべったりです。つい一週間前に、僕の誕生日を迎えました。この年になるとわざわざ自分をアピールすることもなく、ただ、子供たちを連れて外食する予定でした。当然うちの息子は、僕の誕生日を覚えていることもなく、何も言いませんでした。あとで、うちの娘から聞いたらしく、恥ずかしがってましたが、毎年のことです。娘は、僕がうちに帰ると、薔薇の絵を質の良いキャンパスに描いて、お誕生日おめでとう!と大きく書いたものをくれました。去年は、離婚調停中で、子供たちも僕が面倒みる日ではなかったため、娘から誕生日おめでとうメッセージが来ただけだったので、寂しいものでした。
日ごろから、娘は、お父さん、大丈夫?とよく聞きます。お父さんの料理おいしい!って言ってくれます。お父さんの明日着る服こうしたほうがいいよ!って言ってくれます。娘のいない週は、なんとも火が消えたような寂しい我が家です。家族5人が十分に住めるスペースの大きな家で、ひとりの週は無性に寂しくなります。娘も来年は中学生で、もっと忙しくなり、友達とか部活とかでいそがしくなるでしょう。僕のことを気遣う余裕もなくなるでしょう。でも、それでいいと思ってます。娘も大きくなりいずれは自立しますし、ぼくも一人でもしっかりと生きていかなくてはいけません。いつでも子供たちが帰ってこれる場所を作っておかなくてはなりません。娘にありがとう!って言いたいけど、やっぱり、生来恥ずかしがり屋で、娘をハグして終わりですね。でも、来年の僕の誕生日には、しっかりと気持ちを伝えて、感謝の意思を表現したいと思います。
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