- 07 息子・娘へのありがとう
- 2018.04.05
生まれてくれてありがとう。
娘が10歳の時、私が離婚しました。
私は障害のため親権をとれませんでした。しかし離婚調停の結果、自由に私と子供たちが行き来していいことになりました。その子供たちといくら近くに住んでいるとはいえ、離れて暮らすことが辛く私はかなり苦しみました。拒食症になりガリガリに痩せて入院生活をおくっていました。
「もうお母さんダメだよ。」と娘に一言漏らしたとき、娘のお兄ちゃんである息子に叱られました。「あの子はあんなにしているけど、お母さんが具合が悪いと言った時、一人で寝込んでるんだよ、あの子に愚痴ったらだめだよ。」と息子に言われました。
娘はお兄ちゃんがいたものの、私がいないということでずいぶん寂しい思いをしたと思います。その後、離婚して一回も私に欲しいものをねだったことはありませんでした。お父さんが欲しいものを買ってくれていたおかげです。
生まれたとき、「股関節脱臼して歩けない」かもしれないと娘は医者にいわれました。心配はしていましたが女の子が生まれたことで家の中に花が咲いたように私は感じていました。上の子供が男の子だったので喜びはひとしおでした。無事に娘があるいた時、ほっとしました。
娘が小さいころ、おとなしくてちっとも手を煩わせない子供でした。お母さん子で、幼稚園から帰ってきても「お友達と遊ぶよりママと一緒にいたい」と家にいるような子供でした。あまりにかわいくて娘を抱っこすることがいやだ、面倒だとおもうことがまったくありませんでした。
だから子供たちと離れた衝撃はとても大きかったです。
しかしながら、私は退院して子供たちに背中を見せていこう、立ち直って病院からでていこう、と思いました。それからリハビリに励みました。懸命なまわりの介護のおかげもあり無事退院して一人暮らしを始めることが出来ました。
「子供たちと離れたけどわたしは子供たちを守り抜こう、命がけで産んだ子供たちのために障害に負けるまい。働こう。働くことの尊さを親として口で言うのではなく背中で見せていこう。」そう決心しました。
娘はそんなわたしの気持ちを感じ取ったらしく高校も大学もお金が出来るだけかからないところに決めました。
「お母さんが頑張っているのだから、私は遊ぶお金は親には出してほしくない。」と大学4年間、遠距離通学しながら、単位を落とすこともなく、アルバイトに精を出していた娘。学校が終わってからの立ちっぱなしのアルバイトを6時間、きついだろうに一言も愚痴を私にこぼすことがありませんでした。
私に迷惑をかけるまいと、泣き言や愚痴を言うことは全くない娘でした。お父さん、お兄ちゃんが可愛がってくれたのはありがたいことでした。
大学1年になってから、私の母と私と娘とで、街で買い物をすることが多くなり、娘は「ずっとお母さんと買い物をするのが夢だったんよ、わたし。」と、その時はじめて言いました。ずっと我慢していたんだろうなぁ、寂しい気持ちを外にも出さず健気だなぁと胸が熱くなりました。
ひとしきり、ショッピングを楽しんだ帰り道。一緒に乗った地下鉄のなかで、「お母さん。私、お母さんに捨てられたとか思ってないよ。これが我が家の形なんだと思うよ。」と娘が言いました。続けて、「こんなに虐待の多い世の中で、離れててもすごくかわいがって育ててくれてありがとう。」とまで言ってくれました。私は泣くのが恥ずかしかったので「ありがとう。」と言いました。
そしてもう一回「生まれてくれてありがとう。」と、言いなおしました。
以前、知人に言われたことがあります。「あなたは子供を守っているつもりだろうが、実はその気持ち、子供に守られているんだよ。」私は障害者でも子供たちにとってはたったひとりしかいない母親なんだ、胸を張って街を歩こう。その時そう決めました。
もし、子供たちが生まれていなかったらと考えるとわたしは障害に負けてきっと仕事どころか、普通の暮らしさえ送ることができていないでしょう。入院生活のままで一生を終えていたかもしてないとさえ思います。
よく「50にして天命を知る」といいますが49歳の今、50歳を目前にして「母親として私は生まれたんだ。障害は一つの個性だ。」と思っています。
私の原動力となってくれた娘はこの春、大学を卒業して東京の会社で働いています。これから先は親が敷いたのではなく、娘自身が敷いたレールの上を走ってくれるものと信じています。
「お母さん、一番の親不孝は親より先に子供が死ぬことよね?」と念を押した娘です。頭がいいというわけではなく、人の気持ちをわかる大人になってくれてこんな幸せはありません。
今は世知辛いこの世の中でふりかかる雨をよける傘のように人様のお役に立つ娘になってほしいと願っています。どんなことが起きても私も娘には変わりありません。
同じように娘も言ってくれました。「何度倒れても立ち上がるお母さんは私の誇りよ。」私は本当に娘の言葉に助けられて生きてきました。
生まれてくれてありがとう。
お気に入りに入れる-
前の記事
「わたし」をつくってくれて、ありがとう 2018.04.04
-
次の記事
迷惑かけたのに、がんばってくれてありがとう 2018.04.05