理由なんかない。産んで育ててくれたことに心からのありがとうを送ります

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お母さんへ

お母さん、産んでくれて育ててくれてありがとう。

お母さんは大変な家庭を生きてこられましたね。
AB型で完璧主義で何事も手を抜かないおばあちゃん。
酒のみで女遊びが酷く、おばあちゃんに暴力をふるうおじいちゃん。
私が生まれた時にはすでにおじいちゃんはこの世にいなかったけれど、おばあちゃんの時代に離婚をして女手一つでお母さんと叔父さんを育ててきたおばあちゃんは本当にすごいと思います。

だからお母さんは中学生の頃から、授業で「あなたの夢はなんですか」と聞かれたとき、同級生はパン屋さん、お花屋さん等と答えている中で、ひとり「平和な家庭を築きたい」と思ったこと、耳にタコができるほど聞かされてきました。

そんなお母さん。
平和な家庭を知らなかったお母さん。
私はいっぱい殴られて、蹴られて、私が飛んでベランダのガラスを何枚割ったかわかりません。
「お父さんが稼いだお金で買ったんだからね」と口癖のように言っては、お母さんは機嫌が悪くなると、私たちの服を一枚残らず脱がせて雑木林に放置したこともありましたね。

でもどんなに酷い言葉を投げかけられても、ベルトやリモコンで殴られても、ストーブで焼かれても、私が一番つらかったのはお母さんが泣きながら「どうしてこんな子しか生まれなかったの」という時でした。

私はお姉ちゃんとお父さんが人よりちょっと違うところがあるのは、ずいぶん前から気づいていました。
お母さんももしかしたら気づいていたけれど、受け入れがたかったのかもしれませんね。
私はお姉ちゃんがへまをするたびに、またお母さんが悲しむ、怒ると必死にそれをカバーしてきました。
本当に少なかったけどお母さんがニコニコしてる時が一番幸せだったし、平和な時間でした。

私は思えば中学生までお母さんの顔色だけを見ながら過ごしてきました。
今の機嫌はどうか?怒っていないか?どうすれば喜ぶか?どちらの道を選べばお母さんが喜ぶか?
勉強だけをひたすら頑張って、中学3年の時にはどこの学校でも合格判定が出るようになっていました。
お母さんが勧めた私立高校を受験して合格した時、お母さんが喜んでくれると思ったのに、泣きながら「どうしても家を出ていくのか」と言われたとき本当に戸惑いました。
でももう私はストレスに耐えきれませんでした。
一週間おでこから血が出るほど床にこすりつけながら、土下座をして高校に行かせてくださいとお願いしましたね。

私は私で高校時代は本当に表現する言葉が見つからないほど大変でした。
自分がなかった。
すきなものもなかった。
私は空っぽな自分に気づき、そこから自分というものを探してここまで人生生きてきました。

でもお母さんが私を産んでくれた歳を過ぎた時、ここからお母さんは自分の好きなものも何もかも捨てて、私とお姉ちゃんを育ててくれたんだなぁとしみじみ思いました。

今は私は私の道を生きているので心配をしないで下さい。
距離を置きたいと伝えた時のお母さんのショックが痛いほどわかりましたし、反抗期と言われていますが、お母さんの為でもあります。
お母さんにはお母さんの人生を生き抜いてほしい。
これが私のできる恩返しだと思っています。

でもね。これだけは分かってほしいし伝わってほしい。
お母さんを恨んでるからじゃない。
お母さんを嫌いだからじゃない。
心から大好きで愛しています。
幸せになってほしいです。
産んでくれてありがとう
育ててくれてありがとう

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