栄養と笑顔をくれてありがとう

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第二のお父さんへ

私には「第二のお父さん」がいました。それは以前勤めていた会社の地下にあった食堂のご主人。お店はご夫婦で営んでいて、たまに娘さんが手伝っていました。

お父さんは昔、漁業関係の仕事をしていたので、魚を見る目はピカイチ。定番のお刺身定食のほか、アジのフライ定食、煮込みハンバーグ定食、野菜だけのカレー、パスタなど、どれも安くておいしい栄養満点のご飯を作ってくれました。

新人の頃から、あまりにも私が毎日通うせいで、いつも「〇〇〇ちゃんはうちの娘だもんな!」と言われていました。
お母さんも朗らかな人で、社内の人のみならず社外から来るお客さんにも好かれていました。本当にいつもお店には笑顔があふれていました。

私が趣味の旅行に出掛けた時は旅先からお土産を送っていました。沖縄に行った時はお父さんが「泡盛の古酒がほしい」というので、ちょっと高いものを選んでお店に送りました。でも、お父さんが飲む前に、酒好きの娘さんに全部飲まれてしまったなんてこともありました。
北海道からイクラやウニなどを送った時は、わざわざ海鮮丼にして私に食べさせてくれました。私はお父さんとお客さんに楽しんでもらうためにお土産にしたのに、何だか申し訳ない気分でした。

私が体調を崩してしばらくお店に行けなかった時は、ひょっこりお父さんからメールが届きました。「今日、ハンバーグ。食べに来んか?」「コーヒー飲みに来なさい」と。
でも、病気で会社を休んでいるのにご飯だけ食べに行くのは憚られたし、薬の影響でものすごく太ってしまった姿を見せたら逆に心配させるのではないか、と少しずつ足が遠のいて行ってしまいました。それでもたまにご飯を食べに行くと、お父さんは「おー、〇〇〇ちゃん生きてたか!」と言いながら抱き締めてくれました。

そんなみんなの憩いの場となっていたお店は、一昨年の夏に閉店しました。営業最終日には別れを惜しむ人がたくさん来ていて、店内はねぎらいのメッセージが書かれたお花で埋め尽くされていました。お父さんとお母さんの人徳があったからこそ、愛されたお店でした。

そして、その年の冬。お父さんは亡くなりました。
私は病気で休職していたのですが、先輩がメールをくれました。あまりにも早い別れでした。
体調が悪くてお葬式にも行けず、香典を先輩に託しました。それからお母さんやお姉ちゃん(娘さん)に連絡して、行けなくて申し訳ないと謝りました。

信じられなくて何度もメールを読み返して、病院(診察日だった)で涙が止まりませんでした。私が今生きているのは、お父さんの栄養満点のご飯とニコニコ笑顔、いつもかけてくれた励ましの言葉のおかげです。心のこもったご飯は相手の気持ちまで元気にするんだということを、お父さんに教わりました。

お父さんは生前、「彼氏ができたら俺に紹介しろよ。〇〇〇ちゃんにふさわしい男か見てやるから!」「子どもが生まれたら、うちの孫だから、子守りしてやるから連れてくるんだぞ」と言ってくれましたね。その約束を果たすことはできなかったけど、私が結婚する時はお母さんとお姉ちゃんも式に招待します。お父さんの写真も持ってきてもらうから、私の晴れ姿をちゃんと見てくださいね。

いつも心の支えになってくれてありがとう。お父さんと出会えて、「娘だ」と言ってもらったことは一生忘れません。

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