私を見ていてくれてありがとう。

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ちっちゃいおばちゃんへ

 もう亡くなってしまった叔母。まだ小さいいとこ同士で祖母の家に集まると、向かいの家に住んでていた叔母はいつもアイスクリームやシュークリームをふるまってくれました。叔母には子供がいませんでしたが、一緒に遊ぶわけではなく、私たちの成長を見守ってくれている安心感を幼い私でも感じられました。
 特に何が得意なわけでもなく、今で言うとコミュニケーション能力がないので友達も作れない、そこにいるのかいないのかわからないような目立たない子だったと思います。父は家にいることが少なく、無口な人で母は毎日のことで忙しく、両親からのあたたかい愛情、というものををあまり感じられずにいたようです。 もっとも両親なりに大事に育ててくれたことに感謝はしていますが。
 そういうこともあり、子供のいない叔母が何かにつけ、「○○ちゃん」、「○○ちゃん」と気にかけてくれたのは、とてもうれしくて、有難かったです。私の幼いころの数少ない幸せな思い出の1つです。
 ですが、高齢のため入院先に見舞いにいった時には私のことを覚えていない状態で、元気ではつらつとしていた以前の姿を思うと、深い悲しみに襲われました。
 叔母が見ていてくれた、という安心感と自分は存在していてもいいのだ、という小さな自信のおかげもあり、私は家庭を持ち、叔母ができなかった子育てもすることができました。愛情深くしすぎでかまいすぎた嫌いもありますが、叔母の分までと自分では納得しています。
 遠方に越してしまったせいもあり、叔母との昔話どころか、感謝の言葉も伝えられませんでした。悔いが残ります。ありがとうの言葉と叔母のことをどんなに大切に思っているか、を伝えなくてはいけなかったと思います。
 
 
 

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