- 08 両親・家族へのありがとう
- 2019.05.13
生んでくれてから25年が経ちました
ぱぱとままへ
この場を借りて、25年間の感謝を書き綴ってみたいと思います。
私の両親は母の厳しく身勝手な父親から逃げ、駆け落ちして結ばれました。
もちろんお金もなく、馴染みのない土地での2人暮らしは辛かったと思います。
そんな中私の姉を身ごもり、故郷の近くの古い団地へ引っ越してきたそうです。
その頃の生活の思い出を今も嬉しそうによく話してくれます。
そして私が産まれて、3歳になった頃故郷へ戻ったそうです。
両親は1から会社を立ち上げ、2人で協力し合って大成功を成し遂げました。
比較的裕福な家庭で育ててもらい、たくさんの旅行をしてたくさんの思い出を作ってくれました。
姉が中学へ上がる頃、私立の女子校に入学しました。その後私も同じ中学校へ入学しました。
私は地元の中学校に入りたくて毎晩泣きました。
親のおかげで高校、大学と何事もなくスルスルーっと進学しました。
ほんと、親のおかげです。
なのに、私は最悪なことにそんな両親を裏切りました。
遊ぶのに夢中で、単位がとれず追いつけずに辞めてしまいました。
怒られるのが嫌で家を飛び出し都会で一人暮らし。
姉からままが泣いてるよと怒られていましたが、私ときたら連絡もろくにせず悲しませてしまっていました。
そんな母は私の口座に少しずつお金をいれてくれました。
ひどい娘です。今考えてもほんとにひどい。
一人暮らしに飽きた私は、1年会っていなかった父にやっと会いました。
大学辞めてごめんなさい。勝手に家を出てごめんなさい。家に帰りたいです。
こんな簡単な言葉で謝っても謝りきれないはずなのに、父は厳しくも優しい言葉で受け入れてくれました。
それから私は両親の会社の手伝いをしました。
お小遣い程度ですが、実家に住んでいるので充分でした。
現在私は仕事関係で知り合った人と結婚して息子が1人います。
両親は息子をとても愛してくれています。
今も私たち家族のことを一番に想ってくれています。
私は両親にたくさん迷惑をかけました。
なのに愛してくれる。
その理由が今、私自身息子を産んで、育てて、やっとわかりました。
長々となりましたが、今も家族の生活が潤うように引退せず働き続けてくれている両親への感謝を綴ってみました。
子供のために働き、何不自由ない生活を送らせるために一生懸命育ててくれたことが当たり前でないとゆうことにもっと早く気付くべきでした。
私の目標は両親のような親になることです。
ぱぱ、まま、ありがとう。
これからも宜しくお願いします。
-
前の記事
これかもずっとよろしくね 2019.05.13
-
次の記事
外国のお菓子をくれてありがとう 2019.05.13